2011.03.06 Sun
ありがとう
2011年2月25日、春一番が吹いた暖かい日、ピヨが天国へ旅立ちました。
9年というあまりに短い一生でした。
ピヨが7才のとき僧帽弁閉鎖不全症(心臓の病気です)
と診断され、約2年間投薬治療を行ってきました。
そのままでは薬を飲んでくれなかったのでパンに包んでみたら
ペロリとたいらげてくれる、とても良い子でした。
去年の年末あたりから心臓肥大からくる咳が増え、毎週病院通いが続きました。
病院へは車で通っていたのですが、上着を着てカバンを持ち鍵をチャラチャラさせながら
「ピヨ行くかい?」と声をかけると、尻尾を振り耳をそらせとても楽しそうに乗車していました。
病院は苦手なはずなのに。
帰るときもうれしそうに乗車し、道すがら近所を少しドライブしたときの
ワクワクした顔が忘れられません。
ピヨは亡くなる前日までとても元気で(咳は出ていましたが)
大好きな茹でブロッコリーの芯が欲しい欲しいと言っていました。
また別の日には、ネコのご飯皿、ピヨのご飯皿、牛乳皿を並べて
「ピヨはどれが欲しいの?」と聞くと『騙されないぞ!これこれ!』と言う感じで
牛乳皿をゴロンゴロンと転がしたり
『あそこにキャベツが!キャベツがある!』と言わんばかりに
ピヨの手の届かない所に隠しておいたキャベツをみつけたり。
その日が来るまで毎日楽しげに、そしてけなげに一生懸命生きていました。
25日深夜から具合が悪くなり、朝一番で母が病院へ連れて行きそのまま入院。
午後1時、春一番と共に天国へ旅立ってしまいました。
父が言うんです「ピヨが帰ってきたよ、帰ってきたよ」と。
そこに横たわるのは口から血をにじませたピヨで
なでてみると冷たくて信じられなかった。
ネコも家族の死がわかるのでしょうか、家中をウロウロして
最後にピヨの亡骸の前で立ち止まる。それを繰り返していました。
振り返ってみると後悔ばかりで
一番は最期をみとってあげられなかった事です。
肺に水がたまり、とても苦しかった。苦手な病院でさみしくて怖かった。
それを思うと泣けてくる。何度謝ってもピヨはもどってこない、時間も巻き戻らない。
あの時ああしておけばよかった、こうしておけばよかった。そればかりです。
そんな私に母が言いました。
「そんなに落ち込んでるとピヨに笑われちゃうよ?
『おいらもさみしかったけど元気だよ』きっとそう言ってるよ?」
あんなに小さいピヨが苦しみに耐え最期まで一生懸命生きた。
なのに私はどうだろう?涙で言葉が出ませんでした。
死してなお私に勇気を与えてくれるピヨ。
あの日から眠れず食べられず下痢も止まらずだった私を
ピヨが励ましてくれた。そんな気がして。
私はもう大丈夫だから!ちゃんと寝てるし食べてるよ!
お腹も痛くない!
ピヨ、ありがとう。情けないお姉ちゃんでごめんね。
ピヨはこのイスに居るのが好きだったね。
上りたくて座席に手をかけるとイスがくるくるまわっちゃって
困り顔でお姉ちゃんのこと見てたね。
ピヨはコタツが大好きだったね。
時には埋まってみたり、時にはズボッと突っ込んだり。
いつもコタツの真ん中が定位置だったね。
あんなに狭いと思ってたコタツが今では広すぎるんだ。
ピヨが入った穴からネコもコタツに入ってたんだよ。
知ってたかい?ピヨがいないとネコさん、コタツに入れないんだ。
今はお姉ちゃんたちが責任もってネコをコタツに入れてあげてます。
ネコとピヨ。
ピヨはネコさんのことも大好きだったね。
遊びに誘ってみたり
ストーブの前で一緒にくつろいだり
暖房器具があるから一箇所に集まってると思ったけど違うね。
気が付くといつも一緒にいた。
ケンカを一切しないで本当に仲良し。ネコもピヨも良い子だ。
私たち家族はピヨのことが大好きなんだよ?
木枯らしと一緒に来て春一番と共に去っていったピヨ。
嵐のような楽しすぎる9年間だったよ。
ピヨありがとう。
ピヨ大好き!
9年というあまりに短い一生でした。
ピヨが7才のとき僧帽弁閉鎖不全症(心臓の病気です)
と診断され、約2年間投薬治療を行ってきました。
そのままでは薬を飲んでくれなかったのでパンに包んでみたら
ペロリとたいらげてくれる、とても良い子でした。
去年の年末あたりから心臓肥大からくる咳が増え、毎週病院通いが続きました。
病院へは車で通っていたのですが、上着を着てカバンを持ち鍵をチャラチャラさせながら
「ピヨ行くかい?」と声をかけると、尻尾を振り耳をそらせとても楽しそうに乗車していました。
病院は苦手なはずなのに。
帰るときもうれしそうに乗車し、道すがら近所を少しドライブしたときの
ワクワクした顔が忘れられません。
ピヨは亡くなる前日までとても元気で(咳は出ていましたが)
大好きな茹でブロッコリーの芯が欲しい欲しいと言っていました。
また別の日には、ネコのご飯皿、ピヨのご飯皿、牛乳皿を並べて
「ピヨはどれが欲しいの?」と聞くと『騙されないぞ!これこれ!』と言う感じで
牛乳皿をゴロンゴロンと転がしたり
『あそこにキャベツが!キャベツがある!』と言わんばかりに
ピヨの手の届かない所に隠しておいたキャベツをみつけたり。
その日が来るまで毎日楽しげに、そしてけなげに一生懸命生きていました。
25日深夜から具合が悪くなり、朝一番で母が病院へ連れて行きそのまま入院。
午後1時、春一番と共に天国へ旅立ってしまいました。
父が言うんです「ピヨが帰ってきたよ、帰ってきたよ」と。
そこに横たわるのは口から血をにじませたピヨで
なでてみると冷たくて信じられなかった。
ネコも家族の死がわかるのでしょうか、家中をウロウロして
最後にピヨの亡骸の前で立ち止まる。それを繰り返していました。
振り返ってみると後悔ばかりで
一番は最期をみとってあげられなかった事です。
肺に水がたまり、とても苦しかった。苦手な病院でさみしくて怖かった。
それを思うと泣けてくる。何度謝ってもピヨはもどってこない、時間も巻き戻らない。
あの時ああしておけばよかった、こうしておけばよかった。そればかりです。
そんな私に母が言いました。
「そんなに落ち込んでるとピヨに笑われちゃうよ?
『おいらもさみしかったけど元気だよ』きっとそう言ってるよ?」
あんなに小さいピヨが苦しみに耐え最期まで一生懸命生きた。
なのに私はどうだろう?涙で言葉が出ませんでした。
死してなお私に勇気を与えてくれるピヨ。
あの日から眠れず食べられず下痢も止まらずだった私を
ピヨが励ましてくれた。そんな気がして。
私はもう大丈夫だから!ちゃんと寝てるし食べてるよ!
お腹も痛くない!
ピヨ、ありがとう。情けないお姉ちゃんでごめんね。
ピヨはこのイスに居るのが好きだったね。
上りたくて座席に手をかけるとイスがくるくるまわっちゃって
困り顔でお姉ちゃんのこと見てたね。
ピヨはコタツが大好きだったね。
時には埋まってみたり、時にはズボッと突っ込んだり。
いつもコタツの真ん中が定位置だったね。
あんなに狭いと思ってたコタツが今では広すぎるんだ。
ピヨが入った穴からネコもコタツに入ってたんだよ。
知ってたかい?ピヨがいないとネコさん、コタツに入れないんだ。
今はお姉ちゃんたちが責任もってネコをコタツに入れてあげてます。
ネコとピヨ。
ピヨはネコさんのことも大好きだったね。
遊びに誘ってみたり
ストーブの前で一緒にくつろいだり
暖房器具があるから一箇所に集まってると思ったけど違うね。
気が付くといつも一緒にいた。
ケンカを一切しないで本当に仲良し。ネコもピヨも良い子だ。
私たち家族はピヨのことが大好きなんだよ?
木枯らしと一緒に来て春一番と共に去っていったピヨ。
嵐のような楽しすぎる9年間だったよ。
ピヨありがとう。
ピヨ大好き!
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